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2017年2月12日
オートバイ人生に幸あれ(^^♪
小生は、オートバイと出逢い50年を迎える。
原付免許を取ったのは満16歳のその日だ(待ち構えていた)。とは言え、故郷・福岡県の野山をホンダ・カブ号でそれ以前からチョコちょこと走っていた。
原付免許を取って間もなく「自動二輪免許(現在・大型二輪免許)」を取る。これで排気量に関係なく大きなオートバイに乗れる。
こちらは、運転免許試験場の検定コースを125㏄のオートバイで走る。実技試験の走行を終え、検定塔の試験官に受験票を取りに行く、そこで試験結果を聞くのだ。
今でもハッキリ覚えている…試験官が開口一番「どこで練習した。合格だっ」…ニヤリとしたような顔つきには…❝こやつめ~無免で練習してきたな~❞…そう思っている顔だ(^^)。…そんな、のどかな時代でもあった。
【ホンダCB450k1・生まれて初めての大型オートバイ】
免許を取ると、新聞配達のアルバイトも自転車からホンダ・カブ50に替り配達地区も拡がった。この50㏄のバイクでも、新聞店のオヤジさんに許可を貰い、休日には北九州市・小倉や英彦山までツーリングを愉しんだ。
その頃から、将来はオートバイ関係の仕事をしたいと思うようになった。ホンダとカワサキへ応募した。両方受かったらホンダを選ぶと決めていたが、ホンダから採用通知が届きカワサキは落ちた。ホンダとは、この時から相性が好かった(*^^)v
これからオートバイ人生の第2幕が始まった。
ホンダへ入社。従業員販売で買ったのがこの「ホンダCB450k1」である。それまでの原付バイクとはまるで違う強烈な加速、ハンドルから手が離れそうになった。
【ハーレーダビッドソンを駆る現代】
そんなオートバイでの青春時代、20代になると友達はクルマへどんどん転向してバイクから離れて行く。さらに、ホンダ社内でもクルマ部門へ移動の話もあった。しかし、あえて2輪部門での仕事を願った。それは今日まで続く2輪一筋への過程である。
【亀戸のハーレー仲間が103名も集ってくれた】
1986年、サラリーマン生活を終えて独立開業へ。約8ヶ月間、モーターサイクル市場の調査と開業準備、その中でホンダから大きな開業支援を戴き、東京・町田市で「ホンダ・ウィング マップラン」を開店する。
この時の経営方針は、モーターサイクルを通してお客様と「出会い・集い・走る」である。
小売業はモノ売りだが、オートバイに乗る、あるいは操る愉しさをお客様へ説いていく。
「モノとコト」を一緒に、楽しさも加えて販売する。この継続こそがお客様への貢献であり、会社の繁栄につながる。小生のオートバイ商人としての基本理念だ。
そのポリシーは、ハーレーダビッドソン亀戸へ継がれていく。