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2012年12月23日

ライダーへいざなった想い出のバイクたちⅡ

【CR125レーサーを駆る小生】

何度となく転んでは起き上がってモトクロスコースへ戻って駆ける。20代の後半はオフロードに集中して、愛車もオフロードバイクの「XL250S」やモトクッロサー(CR125・レース専用)へ傾斜してゆく。オートバイライディングの基本が不整地(オフロード)走行に、その原点があると見出したからだ。

ホンダXL250S

その頃から、マシンについてあれこれとこだわりは無かった。それよりも早く走り巧く乗る、オートバイをいかにあやつるか。そのテクニックとマシンコントロールに深い興味を持ち、休日はほとんどそればかりで、鈴鹿川の河川敷コースへ軽トラに「CR125」を積んでは持ち込み遊びつつも、タイヤグリップをカラダで覚えていった。ホンダCB250RSと片山選手

その当時、オートバイ世界GPで日本人選手として活躍していたホンダワークスライダー片山敬済氏が、CB250RSの宣伝ポスターを飾った。どことなくレースシーンをイメージさせ、軽快なコーナーリングが出来そうなマシンだし、さらに車検のない250も魅力だった。しかし、これを操るのは好かったが友人たちは2サイクルエンジンをもつ、「ヤマハ・RZ250」ばかりになった。

ライバルのヤマハRZ250

箱根ターンパイクの登り坂では彼らのテールレンズさえ見えなかった。なんで同じ250なのに・・と悔しかった。それでも椿ラインの下りではブレーキングとコーナーリングで先頭だった。モーターサイクルのトレンドは500cc以下はハイパワーな2サイクルへと移っていく。それをリードしたのが世界GP(現在はMOTO・GP)だった。ホンダNSR500を駆るワイン・ガードナー選手

ホンダマンとして10年間勤めたのは、本田宗一郎社長を根っから信望してのこと。4サイクルエンジンは本田さんそのものだった。しかし、ホンダも2サイクルエンジンを積まねば、レースも市販車においても勝利はできなかった。小生の初となる愛車は2サイクル3気筒「ホンダMVX250F」だった。これが愚作で、3本の排気管から排出される“オイルしずく”が飛び散り後続車から嫌われた。ホンダMVX250F

【MVX250Fで走り込む休日の小生】

小生も30代、1980年代へ入った。次回③へ

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