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2011年10月12日
BUELLミーティングも15年で幕!
出会いと始まりは「BUELL S1ライトニング」からだった。まだ無名だった1995年秋の頃、「BUELL」と云うアメリカ製オートバイを、ハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)が輸入元になって日本での発売を計画していると云う。オートバイ業界に関することは、ちょっとばかり自信のある小生も「ビューエル」なんて聞いたことが無い。その後、調べたらその当時、横浜・成和モータースと会社が並行輸入し小売していた。しかし、それは「BUELL RS1200」とバイクで、HDJが正規に輸入しようとする「S1ライトニング」と「S2T-サンダーボルト」ではなかった。翌年1996年の春、当店にその2台はやって来た。 【BUELLライニングとサンダーボルト】
日本での「ビューエル契約正規販売店」名は、HDJが発表するまで極秘にされた。そのHDJが招集したビューエル正規ディラー会議でまさか顔を会わせるとは・・親友の㈱モトギャルソン・大坪氏、さらに、これまた親友の山梨・モーターサイクルショップいのうえ・井上氏もそこに参加していて驚いた。当時は全国でも25店に満たなかった。HD亀戸も彼らのお店と同様、「ビューエル契約正規販売店」の始祖的な存在だ。 【US本社主催・正規ディラー会議に参加した大坪・井上・小生】
無名の「BUELL」をどう販売してゆくか、毎日のように思考と模索が続いた。ブランドならハーレーが有利なことは誰も判っている。同じショールームに置きそれを差別化できるのか?販売店となった誰もが苦心した。とにかく「BUELL」はオートバイで乗物、試乗車を降ろしお客に乗ってもらおうとそこから創めた。
小生も初めて試乗した時、その“荒々しい怒涛の加速”に驚いた。これをセールストークに含め拡販しようと1台1台を伝道師のような“語りかける商談”で販売していった。1年が過ぎ97年の春、関東圏の「ビューエル」を一同に箱根・大観山までツーリングしようとみんなで話し合って決めた。それが第1回「ビューエルオーナーズミーティング(BOM)」になった。
【BOMは97年から15年間連続開催2011年で終幕】
あれから「2010モデル」まで、多くの販売はできなかった(日本では年間販売600台位)「BUELL」だが、生涯忘れることの出来ない“面白いオートバイ”であり、それを楽しんでくれた「ビューエルオーナー」へ、“解っていただきありがとう”と申し上げたい。
★次のURLではこれまでの「ビューエルオーナーズミーティング」を紹介。http://www.hd-k.jp/buell/event/index.html