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2011年6月28日
勝手なオートバイ世界遺産①!
小生16歳で原付免許を取る。それ以来45年間バイクに乗らない年は無い。現在はハーレーダビッドソン・オンリー。先日いにしえの自然が息づく小笠原諸島が「世界遺産」に登録承認された。その貴重な自然を自分の目で観たいと思う。我が身に返り、心に今も生きる往年のモーターサイクルたち。小生のいわば「勝手なオートバイ世界遺産」を語ろう。
【モーターサイクルとの出会いはホンダ・カブ50だった】
このホンダ・カブ号に出会うまでの中学時代は、毎朝自転車で「新聞配達」と「豆腐の街頭販売」のアルバイトをやっていた。新聞配達は配ればよかったが、豆腐と油揚げは街筋をめぐり「♪美味しいおトウフはいかがですか~ぁ」と朝もやの中、大きな声を出して売らねばならない。時として女子のクラスメイトに出くわすのがとても照れくさかった。バイトを早く終わらせるためにも、新聞店のカブに乗る必要があった。待望の16歳となったその日、晴れて原付ライダーになった。それは1967年(昭和42年)のこと。
【今見てもCS90のデザインは素晴らしい】
そして1年後、自動二輪免許を取得(実施試験車はホンダ・ベンリイCD125)。走行の実施試験終了時、係官から「お前、何処で練習したきた?合格だ!」と睨みながら云われ、緊張のままの小生は「あっハイ・・」しか返答できず、念願の合格票を貰う。
とは言え、こっそりとオマワリさんの眼を忍び時間さえあれば、メシも喰わずに町外れの空地でやった“クラッチ操作や手信号”の練習。連日苦闘のその努力?が実ったのか1発合格だった。(当時はバイク教習所など無かった)
新車は買えず、中古車15000円のホンダ・ベンリイCS90が最初の愛車となった。当時洗練されたデザインの「Tボーンフレーム」は、いつまで見つめても飽きなかった。当時のCS90の新車価格は72000円、大卒初任給が5000円に満たない時代。
【怒涛の加速に恐怖感さえ覚えたCB450K1】
18歳の時、同級生のバイク仲間はナダレのようにクルマの「普通自動車免許」を取り始め、早い奴は軽自動車を親から買って貰らったりした。小生も遅れながらクルマの免許を取るが、オートバイの魅力のほうが心を熱く支配していた。そして3台目の愛車はホンダ・ドリームCB450K1となる。原付から車検のある小型2輪へ。 「勝手なオートバイ世界遺産②」の続編にご期待ください。